プッチーニは
川上貞奴の舞台を観たあと
オペラ「蝶々夫人」の構想にあたり、
イタリア公使夫人、大山久子を訪ねました。
イタリア語が堪能な大山久子は
通訳なしで
プッチーニと語り合うことができたそうです。
久子は プッチーニに
日本の風俗や習慣を話しました。
長唄と箏曲の素養があったので、
演奏を聴かせ、解説をしました。
夫の大山鋼介公使(外務省)を通じて
日本から楽譜やレコードを
取り寄せました。
プッチーニが
日本にも、東洋にすら一度も来ずして
「蝶々夫人」を作曲できた裏には、
日本人女性 大山久子の
大きな貢献がありました。
久子は、
どの曲を
どのように取り入れるべきか、
プッチーニと堂々と議論を
闘わせたそうですよ。
2019.8.25 15:00
川上貞奴の舞台を観たあと
オペラ「蝶々夫人」の構想にあたり、
イタリア公使夫人、大山久子を訪ねました。
イタリア語が堪能な大山久子は
通訳なしで
プッチーニと語り合うことができたそうです。
久子は プッチーニに
日本の風俗や習慣を話しました。
長唄と箏曲の素養があったので、
演奏を聴かせ、解説をしました。
夫の大山鋼介公使(外務省)を通じて
日本から楽譜やレコードを
取り寄せました。
プッチーニが
日本にも、東洋にすら一度も来ずして
「蝶々夫人」を作曲できた裏には、
日本人女性 大山久子の
大きな貢献がありました。
久子は、
どの曲を
どのように取り入れるべきか、
プッチーニと堂々と議論を
闘わせたそうですよ。